日刊そうせい記

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【途中】僕を理解しやすい理解しにくい文章

今日は曾祖母の米寿祝いで曾祖母の家から約10分くらいの場所にある中華料理店に行ってきた。祖母の兄妹、その子供とまたその子供やらなんやら大集合で凄かった(小並感)

料理の方もめちゃくちゃ美味しかった。個人的に一番好きだったのはフカヒレ入りのスープ。

初めは普通に春雨のスープだと思ってて、「やけに春雨少ないなぁ…」と思ったらそれがフカヒレでビックリした。

 

今日の本題はここからで帰りの車の中でTwitterみていたら、スキゾイドってこんなもんですよーみたいなツイートがTLに回ってきて(自分のTwitterのファボ覧参照)、自分の性格がこの傾向にあると思ったし、僕が高校に思っていた「自分の性格はこのままでいいのか?」という苦悩から解放された気がした。

最近ずっと書こうと思っていた留年した理由にも直結するので今日もういっその事全て書いてしまおうと思う。

長いし、拙い文章だが最後まで見てくれると嬉しい。

 

自分の記憶の限りではこの傾向は中学からある。※1

自分の中学はアニメ好きが多かったので、余分なエネルギーを費やすことなく話の通じる人間が多く、アニメ好きが他のアニメ好きを紹介するみたいな事があって話せる人間は多かったのだが、その中でも親友と言えるのは今でも付き合いのある剣道部の奴らだけだった。

正直アニメ好き以外の人間と必要以上に喋った記憶がほとんどない。

記憶があるのは、一時期中学3年の頃に北や西高に行った人達と自分たちの集団の問題点や教育論について語ってたくらいだと思う。

行事に関しては熱量をそこに費やす意味が当時から分からず、中学3年の合唱コンや行事では寝たり勉強していた覚えがある。

 

高校に入るとそれはさらに強くなるのだが、しかしそれが自分を追い詰めることになる。

高校入学前、剣道部のLINEで高校に入ったら陰キャ脱却しようみたいな誓いを立てていた覚えがある。

正直自分はコミュ障と中学時代言っていたが、頑張ればコミュニケーションは取れることは分かっていたから大丈夫だと思っていた。

そして僕は陰キャ脱却を目指して、中学時代同じ塾に通って仲の良かったライバーの同志2人とともに今の高校に入学した。

入学初日僕はクラスに入ってビックリした。クラスに占めるアニメ好きの数が少ないのだ。自分の中学がスタンダードになって全然忘れていたが、アニメ好きというのはマイノリティーなのだ、そう僕は実感した、ショックだった。

その次の日?ぐらいから幸いにも近くにサッカー部がいたから弁当を一緒に食べ始めた。はコミュニケーションは多少は取れたものの、

消費するエネルギーが多すぎる!運動?何それ美味しいの?

人付き合いめんどくせーーーー!

そう感じた僕は

「同じクラスにいたアニメ好きに話しかけるのもまたエネルギーを消費してめんどくさいから、話しかけられた人とだけ話そう。正直隣のクラスに同志いるから最悪なんとかなる!

ってなった。

この頃は「一人でいることはいけないことだ」という雰囲気の同調圧力が強く働いた為精神的に余裕がなく、どんなにエネルギーを消費しても前述の剣道部レベルの親友を作らなきゃいけないとさえ思っていたので、これでだいぶ楽になった。また、一人でいる方が快適※2だと気づいた為に周りに関心が向くことがなくなり冷たくなった。実際この前後に声を掛けてくれる人間は数人いた。

 

話は脱線するが、昨年タヒのうと思った時に人生振り返るかとなった時にその人達の事が思い浮かんで、高校入学したばっかの頃でエネルギー使ったと思うのにそっけない返事ばっかでなんて事をしたんだ謝っても謝り切れない。タヒんだら許してもらえるかなとか考えて泣いていた。

幸いにもその人達と今年に入ってから喋る機会が何回かあり、土下座をして謝れてはいないがあの頃話しておけば絶対面白い話が出来たのになぁ強く感じている。

 

話を元に戻すが、そのまま数日クラスで1人でいて、帰りは同志達と一緒に帰るという生活を繰り返し僕自身は満足していたのだが、その同志達がクラスである程度上手くやっている事が分かると僕の心はまた同調圧力に飲まれ始める。そして、心の中では「クラスで一人でいるな、その性格を治せ」という同調圧力「1人の方が楽、そのままでいい」という僕の性格が対立をし始めた。

しかし、前者の方にするには些か時間が遅すぎた。もうクラス内のコミュニティ形成は終わっていたし、ここから入ると莫大なエネルギーを消費することになることは目に見えて分かっていたのだ。そうして僕はクラスで孤立した。

ただ、親が心配性なために学校生活の事を聞いてきて「1人でいるのやめな」と何度も言うので後者が完全勝利することは無く、心の底で葛藤は続き1年次を終えた。

 

そして昨年の2年次。状況が変わった。

1年次隣のクラスにいた同志と同じクラスになったのだ。正直めちゃくちゃ嬉しかった。

僕は1人ということに悩む必要は無くなったのだ!

しかし、僕の身体はそれを裏切った。

4月に入り季節の変わり目の為に喘息がでる機会が増えた。次第に前述の同志の彼とも話さなくなった。

喘息云々については彼も十分知っていたし、気を遣わせるのも嫌だったというのもあるが、彼はコミュ力が高く当たり前だが他の友人とよく話していたので、1年次コミュニケーションにおけるエネルギー消費をやめた自分にとっては新たにまたエネルギーを消費することが嫌だった。そうしてまた僕は孤立した。

その結果喘息で最初の数回学校行っていなかったので勉強が分からなくなり、勉強へのモチベーションがなくなった。

つまり、

学校へ行くモチベーションが失せたのだ。

初めの数週間は親に言われ渋々保健室登校していたが、GWに剣道部の同志と遊んでから、どうしてか全く記憶にないのだが学校に行かなくなった。

毎朝学校の時間に親に起こされたが、何かと理由をつけて学校を休んだ。

次第に鬱になった。

元々面白いと思うものが少ないのに、何事も面白いと感じなくなった。

興味がなくなった。

性欲が無くなった。

食欲があまりわかなくなった。

睡眠欲が無くなった。

情けない自分が嫌で、

タヒにたくなった。

 

皆が学校に行って勉強している間僕は何をしているかというと、唯一の趣味であったアニメも全く面白みを感じなかったので、ニコニコでひたすら面白い動画を一日中探した。

飯は自分の部屋から出て家族と一緒に食べ、食べたら寝て起きたらまた動画を探し、3時〜4時くらいになったら寝る(ほぼ寝落ち)という生活をだいたい10月くらいまで続けていた。

勘違いしないで欲しいが、風呂はほぼ毎日入っていたことは自分の名誉のために一応書いておく。

10〜11月以降は学校から勧められた精神科に行くようになった。

この頃にはもう来年からは自分で独学で勉強して大学へ行こうとしている旨を学校に伝えていた。

殆どの人間が精神科へ行ったことがないので知らないと思うが、精神科の需要は高いのでめちゃくちゃ混んでいる。

自分は渋々いくようになった身なのだが、待ち時間が3時間くらいという事もざらにあり、それに対して診察は数分で終わるし、薬を貰っても副作用が強くてめちゃくちゃ眠かったり、頭痛や吐き気が凄かったりするだけで状態は一向に良くならないのでそれが前から抱えていた鬱を加速させた。

 

そして、ネットに書かれていた方法で

学校のネクタイで自札しようとした。

 

無理だった。

 

出されていた副作用の強い薬を一気に飲んで自札しようとした。

 

無理だった。

 

僕は簡単に人がタヒねない事を悟った。

 

それを邪魔しているのが、

前述したような過去の自分の行いに対する後悔や、剣道部でまだ酒を飲み交わしてない!みたいな未練であることも分かっていた。

 

そして生きようと思った。

 

だけど何をしていいか分からないままそのまま生活を続けた。そのまま去年の最終日。すなわち、12/31を迎えた。

ガキ使と紅白を切り替えながら家族と一緒に久々にテレビを見た。

そうしているうちに、いつの間にか年を越した。

ガキ使も終わった。

おもしろ荘は昨年のブルゾンのように光る人がいなくて途中でチャンネルを変えた。

すると、朝生をやっていた。

確か僕の記憶ではちょうどAI云々の話をしていて、自分の守備範囲だったし父親も起きていたので自分と父親の情報交換をしつつ見ていた。

AIの話は正直今振り返ると微妙な気もするがその時の僕は久々に知識欲が湧いて食いつくように見ていた。

そのまま話は憲法九条改正云々の話になった。

自分は学校の公民学習レベルの一般常識レベルしか知識がないので、ただぼんやりと見ていた。

ウーマン村本が政治について意見していたのはネットで見ていたのだが、あまりにあの場所で語るには知識が少な過ぎるし論理がなっていないのが目に見えて、共性羞恥心が働いて僕まで恥ずかしくなった。

そうして、僕は勉強や教養の必要性を再認識した瞬間勉強へのモチベーションがみるみるうちに復活した。

 

数日後、センターの日には勉強を始めていた。

久しぶりの勉強は新鮮な気分だった。

めちゃくちゃ楽しかった。

また、哲学書やAIの本、朝生で興味を持った落合先生の本を幾つか読むようになった。

そんな事をしていくうちに、

学校で学ぶ方が効率がいいし、うちの学校の人間はthe日本人のサンプルって感じだからそこから特徴量を見つけ出せば、日本人の問題点を見つけ出せるかもしれないし、思考する事って学校には沢山あるよね。

という考えになっていき、留年をする旨を1月中に先生に伝え、3月末の始業式1、2週間前に面談をして正式に留年をすることになった。

 

正直1~3月は勉強をしたのは最初のうちだけだったが、その分思考を色々はたらかせた。

特に自分が留年をするにあたって、自分のクラスでのポジションについては色々思考した。

4月の始業式前に顔合わせしている上に、ある程度のクラスが固まっているせいで、クラスのコミュニティがそこそこ出来上がっている事は目に見えていた。

その中で1個上のコミュニティ外(異物)の自分がクラスの中で得られるポジションは、

・一個上という視点の違った意見を投入する

・勉強を教える

この2つしかないと思い、そのポジションを確立するためにどういう切り口でクラスに入って行くべきかについては始業式後も色々考えていた。その思考のおかげもあって現在は上手くそのポジションを確立することが出来た。

 

またこの1~3月の期間に思考して変わったことは他にもある。

母親が世間体第1の人間で、それに影響されかなり世間体を気にする節があったが※3、比較的世間体を気にすることは無くなった。同様に同調圧力に対してもある程度耐性がついた。

 

 

※1 正確には小学6年生のある時からあると思うが、その時の事はあまり話すべきで無いし、必要以上の社会的制裁を受けることになる人間が出てくるのでここでは話しません。

※2 僕にとって勉強することは苦痛では無かったし、勉強しないにしてもスクフェスしたり読書することの方が人と表面的な話をするより面白いから

※3 一応世間体を気にして、ラ!サのストラップ付けてました。